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瓦礫の受け入れについて「渡辺利夫」氏は [放射線/大震災]

拓殖大学総長の渡辺利夫氏が
産経ニュースの正論に寄せた論説です。


 ≪瓦礫の受け入れ拒否の酷さ
 大震災から1年が経つ。肉親や地縁の人々を失い、行方不明の人々がまだ3000人を超す。さまよえる魂に慚愧の思いを深くし身をよじるような苦しみに苛まれ、哀悼と鎮魂を繰り返してなお癒やされぬ己れに鞭打ち、復旧・復興へと歩を進めているというのが被災者の現実なのであろう。同胞の窮境に対して何という仕打ちか。県内施設では処理不能な瓦礫が、県外自治体の受け入れ拒否に遭って行き所を失い堆く積み上げられ、復旧への重大な障害となっている。福島県では県内処理が原則とされている。酷い話ではないか。

 瓦礫の受け入れを表明した神奈川県の黒岩祐治知事が県民の理解を得ようと開いた対話集会の模様をユーチューブでみた。受け入れを表明している宮古市や南三陸町の瓦礫の放射線量は、東京都が受け入れている瓦礫の線量より低く、政府が設定した基準値を超えるものではない、と知事の説得は条理を尽くしていた。しかし、会場は異様に剣呑な雰囲気に包まれ「嘘をいうな」「万一被害が起きたら責任はお前だぞ」といった怒声がとぎれとぎれに聞こえる。


 ≪過剰な安心求める小集団
 神奈川県民の抵抗がここに映し出されたほどに強いとは到底思えない。大半の人々は「日本人として瓦礫の受け入れは当然のことだ」と考えていよう。他方、不安に耐えられず安心を徹底的に追求しなければ心休まらない過剰心理の人間集団は、いずれの社会にも必ずや存在する。この心理を煽る政治集団もまたどこの社会にも棲息する。彼らは合理的な説明の全てを拒絶し、恰もそれが正義であるかのように振る舞う。小集団ではあれ、いや小集団であればあるほどその声は一段と大きい。
 黒岩知事よ、知事の判断を支持する声なき県民が多数派であることを肝に銘じ信念を貫いてほしい。東京都に続いて静岡県島田市が市長の勇気ある判断によって受け入れ直前にまで事を進めている。日本人の同胞意識がいずれの国より強いことを私は信じる。首長が揺るがぬ判断を忍耐強く説き続けるならば、受け入れ拒否は「そんなエゴは度を超している」という地域住民の良心を誘い出し、事態は解決に向かうに違いない。たじろぐことのない首長の対応がポイントであろう。


 ≪地震多発に欠かせぬ相互扶助
 ・・・・・・、私どもが今なすべきは、いつ起こってもおかしくはない災害に際して、血縁・地縁に連なる者をいかに守り、同胞の相互扶助の精神を涵養し、相互扶助の仕組みを再生するかである。
 地域エゴに固執する者は自己が災難に見舞われたときに他者の地域エゴの報いを受けざるをえまい。他者を助けずして自己のみが生存(ながら)えようというのが道理であろうはずはない。瓦礫の広域処理は同胞の相互扶助の精神の如何を問う重大なテストケースである。
 安心とか不安というこの漠たる気分を赴くままにしているのであれば、日本という国土の上で生きていくことは難しい。安心はこれを追求すればするほど自己膨張を重ね、結局はそれが不可能事と知って出口のない閉塞感に人々を誘うであろう。不安はこれを払拭せんと計らえば、一段と大きな不安を呼び起こして私どもを無間地獄に落としかねない。強靱なる諦観の哲学を提示する知者、出でよ。

(わたなべ としお)

私も東北の被災地に足を運び、
至る所に積み重なっている
震災がれきに言葉を失いました。
日本人の同胞として悲しみの淵に沈んでいる東北の仲間を
助けたいという思いでいっぱいです。
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