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村上春樹は核にノーを突きつけた [ニュースから考える]

「ノルウェイの森」や「1Q84」で有名な
村上春樹氏がカタルーニャ国際賞授賞式で、
「核」に対してノーを突きつけました。

福島第一原発事故を受けて
東電に対する批判もありました。
「何百年かに一度あるかないかという大津波のために、大金を投資するのは、営利企業の歓迎するところではなかったから」
また、「政府も、原子力政策を推し進めるために、その安全基準のレベルを下げていた節が見受けられます」などと批判しました。

ただし、こうした「歪んだ構造」を「許してきた」、
「黙認してきた」国民にも責任があり、
加害者であると表現した。

広島に落とされた原子爆弾を引き合いに、
「我々日本人は核に対する『ノー』を叫び続けるべきだった。それが僕の意見です」
「『効率』や『便宜』という名前を持つ災厄の犬たちに追いつかせてはなりません。我々は力強い足取りで前に進んでいく『非現実的な夢想家』でなくてはならない」
などと述べました。


これらについては、
色々な賛否両論の意見があります。

私は、彼の小説を「1973年のピンボール」を中学時代に地元の図書館で読んで以来、
全部読んでいますので、
何となくどうしてそのような事を考えたのか分かるような気がします。
彼の小説技法は独特で、
深層心理まで深く落ち込んで、
謎な部分をわざと残して書くような作家だと告白しています。

ですから、今回の演説も、
論理的な結論ではないかもしれないけれど、
本能的に感じた事を、きっと述べているのでしょう。

私は、国際的な影響力を持つ
村上春樹氏が海外から発信をすることに、
彼なりの強い決意があるように感じます。

電気を好きなだけ消費していた自分がこれまでおり、
停電になってみて、電車が止まってみて、
初めて、私も知らず知らずのうちに原発の恩恵を
受けていたことに気がつきました。

私も原発事故が起こって空気中の放射線量が高くなって初めて、
遥か遠くに原発施設があると思っていたのが、
身近な生活にまで影響がある怖さを知りました。

皆さんもそうではありませんか?

ただ、自分にどれだけの責任があるのかというと
日本国民という総体で考えると責任があり加害者かもしれませんが、
自分でそのような立場になく、
責任がとれないのですから、
けして完全に「責任があり加害者」とは言い切れないと思います。

ただ、大震災後の対応は、
私を含む政治家には責任があります。
これは目をそらしてはいけない事実です。


そして、最後にイマジンを歌ったジョン・レノンのように
「非現実的な夢想家」であると言っていますが、
それが、如何に原子力を始め核兵器を含むすべての核エネルギーを
なくすことの難しさを示していると感じます。

我々はけして後戻りの出来ない、
厳しい現実を突きつけられており、
その歩むべき道を自分自身で考えなければならないのでしょう。

私も今の原子力発電で維持されてきた効率さや便利さを捨てる、
ノーと言える責任の持てる日本人としての自分であろうと、
今、真剣に考えています。

私も、この3ヶ月で原子力関係の本を3冊読み、
雑誌、切り抜きを数多く集めました。

ただ、より多く、もっと多くの情報を得なければなりません。
日本の電力の30%を占める原子力発電。
そして、日本の電力消費の内訳は
産業部門35%、運輸部門27%、業務部門ほか22%、家庭部門16%
となっており、
家庭部門の不便さを我慢しても、
経済活動を停滞させる他分野は我慢できるでしょうか。
無理な電力量の低下は、
日本から産業が出て行く産業の空洞化をおこさないでしょうか。
課題を精査しなければなりません。

原子力、核エネルギーとどう向き合うのか、
もう少し、まだまだ私は自分の頭で考え抜いていきます!
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